死にたいと思えない

人間は時に死にたいと嘆き生きるもんではないのか

わたしは人間じゃないのか

 

あ、ゴミか 忘れてたわ わたしは人でなくゴミだろう

 

まあ死にたいとかいう時期もあったけどなあ 小学四年の冬が始まる頃か

あの時うっかり死んでてもなにが変わるということもないんだろう

わたしがあの時死ななかったのは、とりわけ辛い事がなかったからだ それに感謝したい

 

九歳の女の子が死ぬのには生きづらいという理由だけでは足りなかった 今でも

だけど来年や再来年はどうだろう 十年後は?

あんまり深く考えてないけど、実際

不毛だから死にたくなったらまた考えようこれは

 

ああ。この広いネット上でもわたしを理解できる人間はいないのかと思うとなかなかに気分が落ち込むなあ。

それに、基本的に人の説教を聞いてても感動がないんだ。

会話の中で「君はそう言うけど○○で△だからその考えは__なんだ~」とか説明されても「そんなことは大前提だが?それも踏まえてこう発言している!(わかれ)」となるし、そのまま議論を展開しようものなら「思慮が狭く柔軟さに欠ける。所詮教えを鵜呑みにした意見なんだろうなあ!」となる(多分相手も同じようなこと思ってる)。

どうでもいい説教にいい反応を返すのはとても骨が折れるし、SNSで自分の考えを垂れ流してもいいことはないように思う。

時には、内容によっては、頭のおかしい極左や極右、ロハスこじらせババアが釣れたりもするし、デメリットだらけだ。

 

自分が天才で、唯一正しいと思っているわけではない。勿論。

頭の隅には常に「学もない癖にわたしは何様なんだろう」という文字がちらつく、がそれよりも「こいつすっげえドヤ顔だけど頭ワリィ!」という感想の方が大きく出る。自信がある。

何年も一人で問答を重ねてきたんだ。財産になるようなものでもないが、これだけはそう簡単には揺るがない。

 

わたしの喋りは(または文章も)よく解りづらいと言われる。

癖があるらしく、また思いついた言葉を考えなしにどんどん積み重ねていくせいで、行間を読み取る作業に長けていないと、わたしの言葉は上手く砕けないらしい。

無意識に打った上の文章を読み返すと確かにいまいちだなと思う。そういうのも、あるかもしれない。わたしが納得する会話が出来ない理由。上手く意味が伝わるように話せてないのだろう。

言葉選びが雑なのか?語彙力が無いせいか?

いまのところわたしの言葉をまともに理解できるのは一人だけだ。

 

わたしが頭のいい人間が好きなのは、会話に疲れないから。

頭のいい人は充分にわたしを理解してくれる。

知識が豊富だと何を聞いても楽しい。

態度も自信に満ち溢れている。

好きだ。

あの人と友達になりたかった。遅い。

 

これから先、仲良くしたいと思える人が出てきても、やはりこのように期を逃すことになるんだろう。

嫌われるのは、人を不愉快にさせるのはこわい。

関わらないが吉なのだ。

 

この数年で考え方がかなり乱暴になった。

全てに自愛をかけるわたしではない。他人の苦悩に涙するわたしではない。

それはとてもいい傾向だと思う。

わたしは他人に目を向けられるほど器量の大きい人間ではない。

 

ア。あととりあえず恒例の、定期のアレ……

クソさんへの呪いを叫ばせて頂きます

 

テニスラケットで焚き火しながら舌噛んで幸せな顔で死ね!!!

 

これにて終わりです

ありがとうございました